「他人の視線が気になってしょうがない」


とにかく、自分がどう思うか、どう行動するかの決定は、その行動や言動によって他人がどう思うかに拠りました。
それは、その相手によく思われたいという願望の結果なのでしょうか?
それもあったかもしれませんが、私にとってはそれ以上に、「この人は私をこういう人間だと思っているだろう。だったらそれに添うような ことをしなければ」という考え方が支配していたようでした。
それは、自分にとっての他人が家族しかいなかった頃から繰り返していたので、カウンセリングを何回か 受けて自覚ができるまで、それが歪んだ考え方なんだということに気づきませんでした。

心当たりのある人もいるんじゃないでしょうか?その場では自分は盛り上げキャラを求められている、とか、 このメンバーでは年長キャラになっているだとか。
不良のレッテルを貼られて、周囲がそういう目で見るようになると、余計その期待に応えようとして?行動が エスカレートするなんて話を聞いたことがあります。
そういう「キャラ作り」の延長なだけだと言えば、そうなのかもしれません。
その場の空気に応じて、物分りがよくなったり、ふざけてみたり、怒ったりする。
そんなことを続けているうちに、本来の自分の感情がわからなくなっていきました。相手に合わせた自分になれても、 本来ありたい自分がわからない。どんな自分になりたいのかわからない。
街中を一人で歩いていても、知らない誰かの視線を意識しているのです。そして、頭の中からは親の声が。
自分で自分を四六時中監視しているようなものです。
それでも、そうする以外に社会の中に入っていく方法が私にはありませんでした。
相手の考えを読み、相手の下に出て、バランスよく付き合うことで、他人に受け入れてもらえるのだと思っていました。

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こういう人付き合いをしていると、やっぱり八方美人だと思われるんですよね。思われるって言うか、 どこからどう見ても八方美人なんですね。
グループとか派閥が嫌いだったっていうのも事実なんだけど、今になってみると、どこかから嫌われても まだこっちの付き合いがあるから・・・という非常に狡い考えが無意識にあった気がします。

言い訳をするなら、グループごとで遊ぶのが嫌いって考えは、親が反面教師になっていました。
何しろうちの親は、家族が一番!信じられるのは家族だけ!!他人は入ってくるな!!ってスタンスなんですよ。
父親の場合、仕事上の友人は居るけど、プライベートで遊んだりっていうのが全く無いという。
それを思春期の子供にまで押し付けてくるのはさすがにやめてほしいとは思いましたけど。

でもそんなのは小さなことで、我が家の歪みは、家族全員がお互いを信頼してないってところにあったんだと 思います。 そもそも、私が家族のことを好きじゃなかったのかも。


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